2006 01 瓦解 Collapse
原初を辞めるのであれば、正一郎さんに言いに行くだろうと考えた佳織さんが思いついたのは豊中にある原初関西支局だという。あのバイトリーダーは予想どおり、それなりに偉いようだ。関西支局は、よく重要な会議で使うらしく、普段、正一郎はそこを拠点に活動しているらしい。
俺たちは佳織さんの案内でそこに向かった。
「正一郎っておじさん、偉いんですか?」
走りながら佳織さんに質問する。
「関西で一番、だから日本だと三番。あ、関東より、関西の方が信者が多いから2番かもしれない。」
「そうなんですか。全然知りませんでした。」
平静を装ったが、予想以上に高かった地位に内心少し不安になった。
車で関西支局に向かう途中、敬士は助手席で前を真っ直ぐ見たまま早紀さんに何があったのかを説明し始めた。
「さっきも言うたけど、俺と早紀さんは実は付き合ってんねん。一昨日も早紀さんと俺は朝までいっしょにおった。」
バックミラーで佳織さんの表情を確認したが、窓の方に顔を向けているので表情は読み取れない。
「俺はどうしても早紀さんに原初を辞めてほしかった。俺は何遍も説得しとって、ようやく早紀さんは昨日の朝、原初を辞めてくると言って家を出ていった。」
敬士は助手席で真っ直ぐ前を向いて話す。
「相当勇気いったかと思うから早紀さんには悪いねんけど、俺はあんまり期待せずに早紀さんの帰りを待ってたんよ。宗教はなかなかやめようと思っても辞めれへんもんや。辞めにくいような環境が作られとる。」
佳織さんの表情が後部座席で曇る。
「そんで、昨日の一時、あぁ今日か、今日の一時ぐらいに案の定、やっぱり辞められへんって泣きながら電話がかかってきたんや。でも、俺と話してる間にやっぱりやめる言うて、もう一回話しに行く言い始めてな。一回帰って来い言うてんけど、ケジメがつかへんみたいなこと言って、そのままもう一回話しに言ったてん。」
佳織さんの目には涙が浮かんでいる。
「それで、ずっと帰ってくるのを待っとったんやけど、今朝届いたメールがあんなんや。どないなっとんねん。早紀さん無事なんやろか。」
「さすがに危害を加えたりはしないと思う。暴力は教義で禁止されているから。」
佳織さんが後部座席から辛うじて聞き取れる声で言った。
「そりゃ立派な教義やなあ。」
「敬士、佳織さんに当たってもしょうがないだろ。」
敬士も我に返る。
「すみません。そういうつもりで言うたんじゃないです。」
「いいの。何も間違ってないわ。」
それからは車内は佳織さんの道案内をする声と小さなボリュームで流れるラジオだけが占有した。
車に乗ってから15分程度で目的地に着いたようだ。
「ここよ。」
「え、この家ですか?」
そこは少し大きめの一軒家だった。何となく集会所のようなものを想像していたので驚いた。
門は開いているが植栽が邪魔で中の様子はよくわからない。それでも門から玄関までの距離から推測するに、相当の広さがあることがわかる。
車を降りようとする俺らを佳織さんが制止した。
「二人は待ってて。それと、車はこの先の公園の駐車場に入れて。」
俺と敬士は顔を見合わせる。
「大丈夫。今は私も原初側の人間としてじゃなくて友達として、早紀を探してる。実は敬士君との話とか、早紀からどうやったら辞めれるかの相談は受けてたの。今日だけでいいから私を信じて。あなたたちが行ってもややこしくなるだけでしょ。自分達がサタンの化身と言われているのを知ってるでしょ?」
サタンとは何の話だ。まあいい、後で聞こう。
「わかりました。じゃあ、車もこの先の路上に止めて待ってます。連絡ください。」
「おい。達也」
敬士を無視して俺は車を移動させた。
俺は佳織さんを信じようと思った。
「おい、達也。俺たちも行くべきだ。佳織さんは申し訳ないけど信用できない。彼女は原初人だ。」
「いや、多分大丈夫だと思う。」
「なんで?」
「直感。あの人も本当は原初を抜けたいはずだ。」
「は?」
「佳織さんは多分うちのサークルのキャプテンのことが好きなんだ。普通に恋愛したいと思っている。そのためには原初は邪魔だ。」
「嘘やろ。みんな全然教義守れてへんやん。」
「まぁ、そんなもんなんだろ。」
しばらくすると、バックミラーに佳織さんが映った。1人だ。
後部座席のドアを開けて佳織さんが車に乗った。
「ここじゃなかった。昨日も早紀は来てないみたい。ただ、正一郎さんも昨日から出掛けてて、まだ戻ってないそうよ。早紀といっしょにいるかもしれない。」
敬士は何か言いたげだったが、俺は気にせず佳織さんに聞いた。
「他に思い当たる場所はないですか?」
佳織は頭を抱えて考え込む。
「もしかしたらあそこかもしれない。」
「どこですか?」
「この間のカフェ。」
「カフェ?」
敬士が聞き返す。
「あのカフェですか。」
「どこやねん、それ」
「この前のクリスマスに、大学の近くでパーティーやったのよ。実はあそこのオーナーは原初人なの。」
そこまで原初人なのかと思った。原初のテリトリーは想像より広い。
「とりあえず、そこに行ってみよう。」
カフェの場所ならわかる。俺たちは今走って来た道を戻った。
当たり前だが、また15分程度でカフェに着いた。
入り口にはクローズの札が掛かっていて、窓にはカーテンで塞がれて中の様子はわからない。
「出たとこ勝負だ。」
敬士が扉に手をかけたが、ドアは開かなかった。
「あ、そうだった。」
佳織さんは何かを思い出したようで、裏口に回ると、地面に置いてあった鉢植えをずらす。
「この前のパーティーの時に、潤平君がここに鍵を戻すのを見たの。」
何のキーホルダーもついていない鍵を人差し指にプラプラさせながら佳織さんは得意気だった。
「2人は待ってて。私が先に様子を見てくるから。」
さっきと違って今回はさすがにそれは危険だろうと俺は思った。
「わかりました。お願いします。」
今度は敬士が俺を遮って言った。
「おい。」
「ありがとう。少しは信用してもらえたみたいね。じゃあ車で待っててね。」
「わかりました。」
敬士に促され、佳織さんが扉を開ける前に俺たちは車に戻ることになった。
「なあ、さすがに危なくないか?」
敬士が立ち止まる。
「達也、佳織さんは大丈夫だ。」
敬士は俺の目を真っすぐに見た。
佳織さんがカフェに入ってから30分が経過したが、まだ佳織さんは俺たちの待つ車に戻ってこない。
敬士の携帯が鳴った。
敬士は画面を確認して、電話に出る。
「もしもし、急にすみませんでした。」
その時俺の携帯電話も鳴った。
「ういー。M、こっちは着きましたよっと。いつでも行けるで。今日は達也の奢りな。」
「うまくいったらな。よろしく頼む。」
「いやー、ワクワクしてきた。」
「頼んでおいてあれなんだけど、あんまり、無理はしないでほしい。危ないと思ったらすぐに引き返してくれ。」
「水くさいやん。俺らハイボーイズやで。ちなみに振り返ってもハイボーイズや。」
「ありがとう。とにかく頼む。」
「任せとけって。」
敬士が電話を切って、親指を立てた手をこちらに向けた。
「剛、こっちも準備できた。細かいことは任せた。」
「当たり前や。細かい指示なんて出されても覚えれへん。俺の頭は可愛い女の子の顔しか覚えれへん。お、早速美女発見や。ほなな。」
俺は電話を切った。
「俺たちもそろそろ行くか。」
敬士が言った。
俺たちは車を降りて、ゆっくりカフェに向かった。
佳織さんが入っていった裏口に回り、そっとノブを回した。少しだけ開いたドアから店内の様子を見る。
一階に人の気配はない。
俺たちは音を立てないように店内に静かに入った。
店内を見渡すと厨房の中に2階へと繋がる階段があった。
階段の下へ慎重に移動する。
二階の様子を伺うが、何も物音はしない。
二人でゆっくりと階段を登る。
その時、厨房で何かが光った。同時に大音量であの日パーティーで誰かが踊っていた聞きなれたクリスマスソングが流れた。
驚いた俺は階段を踏み外し、敬士を巻き込んで下まで落ちてしまった。
目の前に影が立ちはだかる。
右手にアイスピックを持ったキャプテンだった。奥にもう一人。結城だ。
「遅かったじゃない。待ちくたびれちゃったわよ。」
階段の上から佳織さんが現れた。
「だからサタンの化身なんて言うのは買い被りすぎだと言ったのよ。本物のサタンなら、こんなに簡単に罠に嵌まることはないわ。」
キャプテンの手が動いた。
鳩尾に鈍い痛みを感じながら俺は気を失った。
俺は左頬に走った強い痛みで目を覚ました。目の前には結城の姿がある。
俺たちは店の中央の柱にロープで縛られていた。
自分の置かれた状況を把握するのに少し時間がかかったが、階段から落ちて腹部を殴られたところまで思い出せた。
気を失っている間に縛られたのだろう。
佳織さんは階段に座ってこちらを冷たい笑顔で見ていた。
そうだ。この人に騙されたのだった。
「こんな大事な時に気を失うなんてなさけないわね。」
佳織さんは目の前まで来ると顔を近づけて言った。
「さて、私はあなたには用はない。」
佳織さんが敬士の前に移動する。
「用があるのは君よ。」
「俺は用がない。さっさと早紀さんに会わせろ。」
佳織さんの顔がみるみるうちに赤く燃え上がっていく。
「早紀さん、早紀さんってうるさいわね。あんたが早紀の何を知ってるって言うのよ。早紀は私のものよ。」
佳織さんは敬士の髪の毛を掴んで頬を思いっきり叩いた。乾いた音がいつの間にか音楽が消えて静寂を取り戻していた店内に響く。
「何で私の知らないところであんたなんかのこと好きになってんのよ。
良い?私が原初に入ってるのも早紀を手に入れるためだったのよ。早紀はあんたが現れるまで私のことしか見ていなかったの。私とずっといるって言ってくれたんだから。」
どうやら佳織さんがキャプテンのことを好きだという俺の直感は見事に外れていた。
「それは悪かったですね。でも、早紀さんが好きになったなのは俺や。」
佳織さんが不適に笑う。カウンターキッチンに置いてあったアイスピックを乱暴に掴むと敬士の眼に向けた。
「敬士くん、君のその眼、嫌いだわ。二度とその眼で早紀のことを見れなくしてやりたい。」
「俺はあんたたちの眼が嫌いだ。」
「あら、私、ちゃんとあの人たちと同じ眼ができてたのね。さすがだわ。女優にもなれるかしら。」
「なれないね。そんなに甘くない。」
佳織の顔から笑顔がスッと消える。
「そのどこから来るかわからない勇気、マジムカつく。本当に刺すわよ。」
「教義違反だ。」
佳織さんは少し驚いた顔をした後、笑いだした。
「君さ、この状況でまだ私が原初とかアホみたいな宗教の信者だと思ってるわけ?あ、でもね、神様には感謝してたわよ。原初のおかげで早紀は恋愛もしないし、ヴァージンのままだったんだから。潔白って言葉は早紀のためにある言葉よ。まるで天使じゃない。」
敬士の方に向き直る。
「そう、私だけの天使だったのよ。あんたが現れるまではね。あんたは私の一番大切なものを奪ったのよ。当然、あなたはここで天罰を受けなさい。」
「何をする気ですか。」
俺は聞いた。
佳織さんは俺を睨んだ。
「最初に言ったけど、私はあんたに用はないの。私はあんたには何もしないわよ。あんたに用があるのはそっちの二人よ。あんたがこれ以上サッカーサークルぐちゃぐちゃにしちゃうとキャプテンとしても、最初にあんたに声をかけた結城さんにしても立場がないのよ。」
なるほど、やはり情報を集めていることはばれていたか。昨日のメンバーの中にも原初人がいたのかもしれない。
佳織さんは深いため息をつくと、低い声で言った。
「でね、あんた空気読みなさいよ。私は今、敬士君と話をしているの。邪魔よ。」
佳織さんはポケットからハンカチを取り出すと、俺の口に押し込んだ。意外と苦しい。
佳織さんは再び敬士の方を向いた。アイスピックを弄びながら言う。
「天罰って言ったけど、本当はそんなに怖いことじゃないの。君には私のお願いを聞いてもらいたいだけなのよ。」
「断る。」
敬士は佳織さんのお願いを聞く前に答えたが、佳織さんはそのまま続ける。
「早紀と別れてほしいの。」
佳織さんは顔の前で手を合わせて笑顔を作る。
「断る。」
真顔に戻って、深いため息を吐き出す。
「でしょうね。どうせそう言うと思ってたわ。だからあなたはこれからしばらくここで、原初の教えを受けてもらうことにしたの。そして原初人になるのよ。原初はね、結婚相手を教祖が決めるの。それまで恋愛も禁止よ。あなたが原初に入信すれば、全て解決するじゃない。良い考えよね。さっき、関西支局に行った時に正一郎さんにお願いしたからそのうち来るはずよ。
あ、それにしても、早紀がいなくなって焦ってる中、あの短時間でこんな計画を考えて、しかも実行に移せる私って本当にすごいわよね。
おまけに君のような堕天使サタンに、天使に戻るチャンスを与えてあげるなんて私は頭脳明晰なだけでなく、慈悲の心まで持ち合わせてしまってるのよ。天罰が下って当然なのに神様の教えを授けてあげるなんて誰も思い付かないと思わない?」
「頭脳明晰の割には、俺がそんなもん信じると思っとるんやな。」
「やってみないとわからないじゃない。上手にできてるのよ。あのパズル。」
「俺はそのパズルの仕組みを全部知っている。」
「まあ、そう言わず騙されたと思ってやってみましょうよ。関西支局長に直々に教えてもらえる人なんてなかなかいないのよ。」
「やらない。」
佳織が頬を膨らます。大分余裕が出てきた様子だ。
「君ね、何回も言うけど自分の状況わかってる?君には心の底から早紀を諦めてほしいの。無理矢理別れさせても本当の心まではわからないでしょ?」
「原初に入信したフリをしても同じじゃないか。」
「わかってないなぁ。宗教はね、人から心を奪うのよ。心を支配するのが宗教。信じているかどうかなんて眼を見ればすぐにわかるわ。」
「あなたは奪われてないじゃないか。矛盾している。」
俺はなんとかハンカチを吐き出した口を挟む。
佳織さんは軽蔑の眼を俺に向けながら答える。
「愛の力に決まってるじゃない。私の早紀を愛する気持ちは神様ごときじゃ勝てないわ。」
俺は予想の遥か上を行く答えに対応できなかった。
「じゃあ俺もそうだ。」
敬士が言う。
「そうね、そうかもしれない。原初の教えを全部聞いても早紀のことを愛しているなら、私も君を恋敵として認めてあげるわ。ね、ごちゃごちゃ考えずに一回やってみなさい。」
その時だった。
扉が勢いよく開いた。
「噂をすれば。」
佳織さんが跳ねるように入口に体を向ける。
しかし、入ってきたのは佳織さんの予定していた人物ではなかった。
「おー。けっこうなことなっとるやんけ。遅いから迎えに来たらSMプレイ中やったんか。」
入ってきたのは剛だった。ネイビーのポロシャツの襟元からはピンクのTシャツが少し見えていた。
そして、剛の後ろには早紀さんが立っていた。
「早紀。なんでここに。」
佳織さんの顔から血の気が引いていく。
「この人たちが助けてくれたのよ。」
早紀の後ろから、さらに宏太が現れる。
「誰よ、そいつら。」
ビデオカメラを回しながら宏太が言う。
「俺たち、ハイボーイズ。ちなみに振り返ってもハイボーイズや。覚えとき。」
「佳織、これはどういうことなの?」
佳織さんは手に持っていたアイスピックをキャプテンに押し付けると早紀さんに近づきながら弁明した。
「早紀、あなたは勘違いしてる。この2人はサタンよ。私は原初の教えに従ってるだけなの。」
「私は原初をやめてきた。」
さっきまであんなに余裕のあった佳織さんの姿はもうそこにはなかった。
「あ、そうなんだ。私もやめるね。うん。」
早紀さんは返事をしない。その代わりに怖い顔をしたまま佳織さんに強く言う。
「その2人のロープをほどいて。」
「わかったわ。でもね、縛ったのは私じゃないのよ。」
佳織さんは振り返ってキャプテンに向かって怒鳴った。
「さっさとほどきなさいよ。」
キャプテンは佳織さんから押し付けられたアイスピックをカウンターに静かに置いてから、黙って俺たちを解放した。
早紀さんが敬士の元に走って抱きついた。
「早紀、なんで。」
それを見ていた佳織さんが呟く。
「私はあなたを友達としか見てないわ。」
佳織さんは何も言わずに呆然と早紀さんと敬士を見ていた。
そしてそのままその場に座り込んでしまった。
「達也、警察通報しとこか?」
店内の3人を見る。佳織さんの様子が伝播したのかキャプテンと結城もこれ以上何かをするつもりはなさそうだ。そもそも二人ともこんなことができる器ではない。佳織さんに言われてやっていただけだろう。
「いや、やめておこうぜ。俺たちの時間と税金の無駄遣いだ」
「おい、お前、こんな時に税金のこと考えよるなんて国民の鏡やな。ほな、これで終いやな。では、約束どおり優良国民の達也君の奢りで一杯やろやないか。」
「昼からいっちゃうか。ええなぁ。敬士君と早紀さんも来るやろ?」
宏太はカメラをしまいながら二人を誘った。
「行きます。」
敬士の腕に自分の腕を絡ませながら早紀さんは答えた。
外に出ると、美琴さんがいた。
「終わったようですね。」
「急に連絡してすみません。ありがとうございました。」
敬士が頭を下げる。早紀さんもその横で頭を下げた。
その時だった。早紀さんを追い越し、行く手を阻むように佳織さんが両手を広げた。
「早紀、考え直して。原初はやめても良いの。ヴァージンじゃなくなったことも忘れるわ。だから、ね、私のところに戻ってきて。」
佳織さんが早紀さんに歩み寄ろうとした時、間に敬士が立ちはだかった。
「どきなさいよ。私は早紀と話してるのよ。あんたなんか早紀と全然釣り合わないんだから。」
早紀さんが敬士をそっと押しのける。
「佳織、ごめんね。私はあなたの気持ちには応えられない。それは今後も変わることはないわ。」
「なんでそんなこと言うのよ。ずっといっしょだったじゃない。これからも私が守ってあげるもの。あんな変態教祖になんて渡さないわ。ね?」
「違うの。私は広い世界に出たいの。もっともっと、整理されていない、混とんとした中で、自分の足で、自分の手で自分の力で光を見つけたいの。」
「私の知ってる早紀じゃない。」
「そうよ。今日、私は現世に戻ったの。」
佳織さんが早紀さんを見つめる。その目はなんとも形容のし難い、あえて形容するならとても純真な目立った。
「そう。わかったわ。」
佳織さんは踵を返すと、力なくカフェへと戻っていった。
「まだ終わってへんかったんかい。撮りそびれたわ。」
宏太が悔しがっている。
「で、どこで飲む?まだ昼やで。どこか店やっとうかな。」
腕時計を確認すると時刻は13時を回ったところだった。
「私はここで失礼します。」
ああだこうだと騒いでいるハイボーイズの横で美琴さんが無表情で言った。
「美琴ちゃん、せっかくの可愛い顔が台無しやで。もうな、今まで何があったんかは知らへんけど、とりあえずな、今日はええことしたんや。そういう日はな、ハイボーイズ入っといたらええねん。笑ってこう。」
剛は美琴さんの腕を掴んで引っ張った。
「ちょっと、何するんですか。」
「何って、飲みに行くんやないか。優良国民のおごりやから大丈夫や。」
「私は男性と触れるのは…」
剛は美琴さんの言葉を遮る。
「男性と触れるのはなんや。男も女も酒の前では平等や、行こう。ハイボーイズも名前替えやなあかんな。女子入れへんやん。誰や考えたやつ。全然男女平等なってへんやないか。で、もう店探すのめんどいから達也んちでええわ。」
祝賀会の場所が決まった。
剛は本当にうちまで美琴さんの腕を離さなかった。
何回振りほどかれても、明るく掴みなおした。
うちに着く頃には美琴さんは抵抗しなくなっていた。
買い出しは優良国民のはずの俺が行くことになった。
買い出しに行きながら、俺は先程の敬士とのやり取りを思い出していた。
佳織さんがカフェに入っていったあと、車に戻ると敬は言った。
「佳織さんは嘘をついている。」
「は?」
「さっき関西支局に行った時、門の中に早紀さんの原チャがあったんや。少なくとも早紀さんは絶対に昨日か今日、あそこに行っている。佳織さんもあの原チャを見て気付いたはずや。」
「原チャ自体に気付かなかっただけじゃないの?」
「外からも見えたんだ。あり得ない。」
敬士は続ける。
「それに、早紀さんは俺と付き合っとることを佳織さんには言ってへん。そのことでむしろ悩んでたぐらいや。」
それが真実ならたしかにおかしい。関西支局に着いた時に、彼女は二人が付き合っていることを知っていると話していた。
「彼女は敵ってこと?」
「そこまではわからんけど、信用はできへん。おそらく、早紀さんは関西支局の中におることは間違いないと俺は思っとる。」
「佳織さんの目的は俺たちをここに来させるってことか。」
「せやろな。ただ、ここで何をしたいかはわからん。手荒なことをするとは思えへんけどな。でも、さっき関西支局で原初のやつらと何かしら仕組まれたかもしれへんと思って動くべきやと思う。」
「じゃあとりあえず関西支局に行って、早紀さんを助けよう。」
「いや、そんなことをしたら逆に危ない。こっちを片付けてからにした方がええ。」
「気付かないフリをするってことか。でも、こっちにいても携帯1つあればすぐに連絡されることに変わらないじゃないか。」
敬士は黙った。
「俺がこっちに残るから、敬士は関西支局に行ったら良い。」
「達也、こっちの方が危ないぞ。何が起こるか見当がつかない。」
「大丈夫。応援を呼ぶ。」
「信頼できる友達がいる。敬士も一人じゃ危ない。うちのサークルのメンバーに声かけてみるよ。」
「いや、大丈夫だ。良い人を思い付いた。彼女なら協力してくれるはずだ。だから関西支局はその人に任せる。俺もこっちに残る。」
そして、敬士は美琴さんに、俺はちょうどアメリカから帰国していた剛と公太に久しぶりに連絡した。
両手に抱えきれないぐらいの酒を持って帰ると、すでに冷蔵庫の中に残っていたビールで祝賀会が始まっていた。
祝賀会では、剛にどうやって早紀さんを助けたのかを聞いた。
「美琴ちゃんと合流して、あの家まで案内してもらうやろ、インターフォン鳴らして、玄関から入ってあとは片っ端から部屋をお尋ねしただけや。二つ目の部屋開けたら変なおっさんが可愛い女の子泣かしとったから、おっさんに説教してお行儀良く出てきたんや。」
「ドア二枚壊してましたし、正一郎さん泣かせてましたよね。」
美琴さんが言う。
「それはちょっと力入れすぎただけやないか。おっさんは、まさか泣くとは思えへんやん。それにちゃんと靴脱いで入ったやん。」
「たしかに。靴脱ぐんだって思いました。」
「育ちがええねん。」
みんなが笑った。
「それにしても、美琴ちゃんこの写真と全然ちゃうな。読者モデルかなんかやっとったん?」
剛は俺が送った写真を美琴に見せる。去年の原初の発行した雑誌の表紙だ。
「なんでそれを。あなたたちですか。」
「緊急事態で。すみません。」
俺は頭を下げた。
「今の方がええな。」
宏太が口を挟む。
「俺はもうちょい暗い方が似合うと思うけどな。」
剛が言う。
「私のことは、私が決めます。あとその画像はすぐに消して下さい。」
「わかった。消すわ。」
剛は美琴さんの目の前で画像を消した。
「過去は消せへんけど、あんま気にしやんとき。今が大事や。今、目の前にあるただ酒があるんや。 まずはそれを飲むことが一番大事や。」
「なんですか、結局お酒があれば良いんですか。」
「わかってへんな。酒があるってことは人がおるってことや。俺は一人では酒を飲んだことない。」
美琴さんは持っていた缶酎ハイを少し見つめてから飲んだ。
「おいしいね。」
美琴さんは早紀さんに言った。早紀さんも酎ハイを口に含んだ。
「そうですね。こんなに美味しいとは思っていませんでした。」
早紀さんはもしかしたら今日、人生で初めてお酒を飲んだのかもしれない。
その日の夜、24時間以上起きている早紀さんと敬士の横で何の遠慮もなく爆睡する剛の横で、初めて空き缶タワーが俺の部屋の天井に届いた。
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