偽善
信じたものを、目にしたものを変えていく勇気
私は、現在、生活に困窮していない。将来についての貯えも幾分かはある。本当に心配なら、すぐにでも少年たちのもとに行き、現地で学校でも作る手伝いをすれば良いと思われるだろう。
このようなきれいごとを言っているのは“偽善者”だと批判を受けることもあるだろう。私自身にもその認識はあるのだから当然だ。
だが、私は自分の家族が大切だし、自分の生活を犠牲にしてまで遠い国の子供を助けられるほど聖人君子ではない。それでも、私は自分の能力を投資して、そこで得た資金で彼らを救う偽善者を目指すことにした。
私の見た少年は世界のほんの一部で、世界には多くの、それも多様な貧困者がいるのだろう。だが、私は自分の知った世界の子供を支援する。私は偽善者なのだから。
私は、私とその仲間の力で、私たちの考え方で彼らにできることをする。
もしかしたら、彼らには必要ないことなのかもしれない。それでも、私は文字を書けない子供たちに、文字を読み書きできるようになってほしい。そして、あらゆる危険から身を守るとともに、今よりも多くの選択肢の中から自由に自分の人生を選択していってほしいと思う。
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