集団と自由と信仰と  

【カルト宗教】

 宗教が人々の思想に大きな影響を与えることをここまで示してきたが、世の中にはカルト宗教という呼ばれる宗教もある。このカルト宗教というものは一体どういったものなのだろうか。

 カルトの定義については様々な定義があるが、一般的にはカリスマ的指導者を中心とする小規模な熱狂的な信者の集まりを指すと定義されることが多いようだ。カルトという言葉は、本来は「崇拝」「礼拝」と言ったマイナスのイメージのない言葉であるが、現代ではマイナスのイメージが定着しており、ヨーロッパではセクトと呼ばれたりしている。マイナスのイメージがあるのは、その集団において詐欺まがいの犯罪行為をしていると世間が認識することが多いからであろう。

 一方で、全ての宗教は元々カルトであったという論調もある。バッシングされながらも、地道に信者の数を増やし、世間の承認を得ることで一般的な宗教として認められていくという過程はどの宗教も通る道だというのだ。たしかに、キリスト教も最初は異端としてかなりの弾圧を受けた経緯があるのは有名な話だ。よって、今はカルトと呼ばれていても百年後には普通の宗教として認められているものもあるのかもしれない。

 また、このような定義であれば、熱狂的なファンがいる芸能人のファンクラブもある意味カルトであるし、有名インフルエンサーやユーチューバーとそのフォロワーもカルトと言えるのだろう。

 しかし、宗教団体には税制面などで得られる特権があるからなのか、思考をコントロールされる感が強いからなのか、理由はわからないが、社会問題として上がるのはカルトのうち、宗教が多い。

 社会問題として表に出てくるときは、騙される本人が悪い、信仰はそれぞれの自由だといった様々な意見がその度に飛び交い、被害者や被害者家族が弁護士とともにテレビで問題点を主張するシーンを私自身も何度も見てきたが、具体的な彼らの主張はどういった主張なのだろうか。

 まず、カルト宗教を問題視する側の意見を見てみよう。

 カルト宗教は宗教団体だということを隠して近づいてくる。普通の趣味の集まりのような形を装い、物理的な接触回数を増やすのだ。そうしていくうちに、彼らといる時間が増え、そのコミュニティで過ごす時間が増えるのと同時に彼ら以外との人間関係は相当に薄れている状態にするのだ。そして周りを信者で囲った上で教義の教えへと移る。その時には、もう周りは信者で囲われており、彼らの言いなりになってしまうことが多いのだ。ここまで来ると、強制などしなくても、本人にとっても居心地が良いコミュニティになっているため、スムーズに事が進む。そして、大抵の場合は教義の真理は教祖が誰だとか、幸せになるためには勧誘をしろとか、献金をしろとかといった類の話であるわけだが、カルト宗教は外堀を埋める作戦を取っているため、俄かに信じがたいのだが、このような話を短期間に信じさせられてしまうのだという。

 周囲が気づいて脱退を促しても、コミュニティ以外の人間を信じないように教えられており、手遅れであることが多い。ある宗教団体では、金は資本主義が生み出した最悪のものであると教え、人々から邪気の根源である金を集め、神に返還することがその人を幸せに繋がるといった教義がある。故に信者は、喜んで献金をするし、周囲の人物に高級な壺などを売っているというのだ。

 カルト宗教を問題視する側の主張をまとめると、カルト宗教の問題点は、一度入信させられると、マインドコントロールされ、金をだまし取られ、周囲の家族にまで迷惑をかけ、自殺者等も出すという悪質な詐欺行為だという主張だ。

 一方、教団側はどういう理屈なのかというと、意外に単純なものである。教団側は、特に何も強制もしていなければマインドコントロールもしておらず、自分たちの信仰を良いと思った人々が自らの意思で信仰しているだけだという主張である。

 たしかに、人の気持ちの問題であるため、強制のしようがないと言えばそのとおりの部分もあるため、あながち間違いでもないのであろう。

 そもそも社会という集団に属している以上、人は生まれた時からあらゆるものの影響を受け続けている。どこまでが自分の考えでどこからがマインドコントロールなのかの境界線ははっきりしない。

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