集団と自由と信仰と  

【信仰と統率の親和性】

 多くの人を同じ方向に向かせるという性質は、人の上に立つ類の人にとっては十分に利用価値のある性質だ。

 統治者は、ある者はそのコミュニティに最大公約数の幸福をもたらすために、ある者は自らの私利私欲を満たすためにと理由はそれぞれあるが、常に統率力を発揮する方法を探し続けてきた。

 統率力、つまり、人を同じ方向を向かせるという性質を持つ「神」の存在は彼らにとって非常に使い勝手が良かった。そして歴史的にも、彼らは人々の統治に神を利用してきた。

 神は大抵の場合、世界を創り上げた創生者として全知全能であるという性質を持ち合わせている。統治者は、自分がその神の末裔、もしくは預言者であるというポジションを取ることで、権力の補強をすることができたのだ。

 実際に歴史を振り返ると、世界中のあらゆる統治者はそれぞれの地域で信仰されている神の末裔と主張し、権力の正当性の補強をするとともに、大衆にアイデンティティと団結力を促すことで、統治を安定的なものとしてきた。

 神と統治者をつなぐために、各国では元々あった神話を改変したり、新たに建国のストーリーを作るなどの方法を取り、権力や自らの主張の正当性を示してきた。

 日本の場合は、古事記が建国のストーリーに近い。古事記は大化の改新の頃に編纂が指示されたと言われている。大化は言わずもがな現代に至るまで続く元号の最初の元号である。政権発足時にその正当性を主張するために編纂されたという見方もある。

 諸説あるのはもちろん承知しているが、古事記のストーリーは、世界を作った三柱の神の末裔、イザナギとイザナミから世界が作られ、イザナギの目と鼻から生まれたアマテラス、ツクヨミ、スサノオのうち、アマテラスの末裔が後に神武天皇になるという話だ。

 この話を無理やり浸透させたのか、自然と広まったのかは不明だが、この神話が天皇が天皇である所以であり、父親の系譜を辿ると神武天皇につながるという皇位継承権が男系に限られる根拠にも繋がってくる。

 語弊があるかもしれないが、我が国は天皇を敬うのではなく、その血筋を敬ってきた。故に創造主の末裔である天皇にカリスマ性があろうがなかろうが大きな問題ではなく、二千年以上も皇室が世襲制で受け継がれてきたのだ。

 皇室の血が途絶えた時、日本は日本でなくなるとの考えを持つ人がいるのはこういった建国のストーリーを信じているからなのだろう。日本は神武天皇の血筋が絶たれれば日本ではなくなるということだ。

 戦後に生まれた現代の我々には理解しがたい部分もあるが、一方で、この考え方は、先祖代々受け継がれてきたことも確かなのだ。歴史上の人物で強大な権力を持った者たちは、数多く存在した。古くは摂政と名乗った藤原氏、260年日本を制定した徳川一族でさえ幕府として、あくまでその立場は天皇が本来持つ政治権を代行しているという立場を一貫して取り続けており、強大な権力を持ったとしても皇室を途絶させようとはしなかったのだ。

 幕末に尊王攘夷運動が起こったキッカケも、皇室の一政治部門であるはずの徳川幕府が天皇の意向を無視して勝手に外国と条約を結んだことに端を発している。それぐらい日本において皇室というものは中心として扱われてきたのだ。

 日本は統治のために古事記という建国のストーリーを使い、古くから人々に国家観について共通認識を持たせることで比較的安定した統治が行われてきたと言えよう。

 神の末裔として人民を統率した同様の例は古代エジプトやアステカ文明などに見られる。

 また、他にも違った形で信仰を利用した例がある。キリスト教だ。ユダヤ教をアップグレードしたキリスト教はユダヤ教から邪教と呼ばれる傍ら、キリスト教をアップグレードしたイスラム教に対しては、キリスト教が邪教と呼ぶなど、イエスキリストの周辺は今もなお、争いが絶えない。そのキリスト教は古代ローマから始まりアメリカ建国、イスラエル建国など多くの国に影響を与えてきた。

 例えば米国の場合は、キリスト教を修正したことで出来上がった国である。

 欧州で腐敗していたカトリックに嫌気が差した人々が、カトリックにプロテストする、つまりカトリックに抵抗するという意味でプロテスタントという新たな宗派を作り、アメリカ大陸に渡ったことが建国のストーリーである。

 当時の欧州は教徒から集めた金を使い、豪華絢爛な大聖堂を建てていた。民衆が飢えに苦しんでいてもだ。終には免罪符を販売し、それを持つものが救われる、つまり金を積めば救われるとまで言い出していたのだ。このような背景を考えれば、カトリックに嫌気が差す者がでてきても不思議ではないだろう。

 その代表として声を上げたピグリムルファーザーズと呼ばれる人々は、金や権力と離れ、自分達なりに自由に神に祈る道を選び、欧州から未開のアメリカ大陸へと移住した。実際にそこで作り上げられたプロテスタントの教会はとても簡素である。彼らは堕落した信仰から、正しい信仰へとキリスト教を修正したという考えをもっていたことだろう。

 このような経緯があって誕生した国のため、アメリカ人はアメリカは自由の国だというアイデンティティを持った国民であり、その国民性から新たなことにチャレンジし続けていくことで今では世界一の大国となった。

 他にも信仰を利用した形跡を探せば枚挙にいとまがない。信仰は人々を統治するために利用されてきた側面があるのは紛れもない歴史的事実だ。信仰にはそのぐらい強大な力があるものなのだ。人々に共通の価値観を持たせることができれば、基本的には安定して権力を保つことができる。

 逆に言えば、戦後の日本のように天皇や古事記を破壊されれば、徐々に一体感はなくなっていき、バラバラに解体される。現代の日本に国家観が欠如しているのは、この戦後のアメリカの占領政策に大きな影響を受けたからだ。

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