集団と自由と信仰と  

【信仰を必要としてきた人類】

 人は太古よりあらゆる信仰を持ってきた。

 なぜ、人は神を必要としているのだろうか。最大の理由は、不安から解放されるためだろう。

 「神」という存在を認めることで、理解し難いこと、例えば自然災害や不慮の事故、理不尽な境遇等は神からの試練だとして片付け、精神の安定性を保つこととしたのだ。

 また、神の存在のおかげで人生をシンプルにできるということも不安を軽減させる一助となる。

 人生は選択の繰り返しである。世の中には多種多様な考え方が存在するが、常にそれを選択するために自身の基準を持っていなくてはならない。一方で、ジャムからも知られているように、選択肢が多すぎると、不安になり、意思決定を鈍らせてしまう。ところが、ここに「神」という絶対的な基準を取り入れるようになった。神という存在さえ認めることができれば、選択肢は自然と狭めることができるのだ。なぜなら、神は本来自分たちで作るべき善悪を含めたあらゆる基準を持っているからだ。人はその基準に照らし合わせるだけで良くなるのだ。

 数多の選択肢を、神の存在を使って狭めることにより、不安から解放され、より楽に生きられるのだ。人は決して強い生き物ではない。神を信じることを一概に悪いことと言うつもりもない。

 さらに、近くに同じ信仰を持つものがいれば、神による不安を取り除く効果はより発揮される。本来であれば分類することが不可能なほど多種多様な考えを持つ人たちが容易に共通認識を持ち、そのコミュニティにおいて安心を生み出すことがてまきる。

 神という存在はその存在さえ信じることができれば、多くの人を同じ方向に向かせることができるのだ。

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