集団と自由と信仰と  

【集団のルールの裁定方法】

 ルールがあれば安定的なコミュニティの運営ができるが、そのルールはどのようにして決めたら良いのだろうか。

 平和的に解決しそうな方法は話し合いにより、あらゆる人の意見を取り入れて決定することだろうが、人とは不思議なもので、集団になると自然とリーダー的な存在が生まれ、結局はそのリーダーが決定をすることになる。

 その最終判断は全ての人が納得できるものではない場合も多い。

 人は時代とともにコミュニティに属する人数を増やしてきたわけだが、少人数のコミュニティだった狩猟時代からある程度の人数が必要な農耕時代へと発展して行く中ではリーダーを束ねるリーダーが次々と生まれた。そして、さらにあらゆるものを一極へと集中させ、大きな人口で構成されるメトロポリスのリーダーになる者は自然と強大な権力を持つようになった。

 現代においてはインターネットという革新的な技術や、移動手段の飛躍的発展により世界がグローバル化され、地球全体が一つのコミュニティと言っても過言ではない状況になりつつある。

 このように小さなコミュニティが集まり、巨大化していくと、そのコミュニティを安定的に保つために必要なルールの性質として求められるのはどのコミュニティでも通用するような普遍性となっていく。コミュニティを超越ルールを策定するには、皆が道義的に良いと思うもの、もしくは良いと思わなくても否定しにくいものをルールの根底に据え付けるのが重要だろう。

 しかし、この「普遍性」というものは非常に厄介である。人々の「常識」は時代とともに変わっていき、それとともにルールも時代に沿って変更される。

 本来、それぞれの小さなコミュニティが持っていたルールは集団が巨大化するにつれて希薄化されるか暴力などで消滅させられていき、いつのまにか違ったルールに変化する。すぐ変わってしまうルールはルールとして成り立たない。普遍的であるからこそルールとして成り立つのだ。普遍的ではないものに、人は不安を感じてしまうものだ。そこで太古の昔より不安を解消する手段として利用されてきたのが「神」である。

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