2005 12 奪還 Recapture
ー 敬士 ー
「私、やっぱり敬士とは付き合えない。」
電話越しに聞く早紀さんの声は、冬の真夜中の空気のせいかとても震えていた。
俺は今朝早紀さんが出ていった後、こうなることも想定していた。
そして、早紀さんが辞めるのを止めたと言っても、何がなんでも彼女をこちら側に連れ帰ろうと決心もしていた。
この件だけは、早紀さんの選択を尊重するつもりはない。
「早紀さん、大丈夫。俺は絶対に早紀さんの傍にいるから。」
早紀さんは泣いていた。
「本当はすぐに敬士のところに行きたいんよ。会いたい。」
「帰っておいで」
「それじゃダメなの。そういう中途半端なことをすると、これからも続く気がするの。私、もう一回話してくる。きちんと辞めて、敬士の家に帰る。」
早紀さんはそう言って電話を切った。
早紀さんは今朝、下着を着けながら原初をやめてくると言って、俺の部屋を出ていった。
大学に入ってから4年近くを過ごしてしまった場所を捨てるのはあまりにも大きな選択だ。原初から彼女は「霊魂」が死にかけていると言われたらしい。
霊魂が何なのかわからないが、きっと大切なものなのだろう。今まで大切だった人からそんなことを言われたらそれはとてつもなくショックなことだろう。
日本において宗教というものは世間一般的にあまりよくないものという認識があるように思う。だが、それは誤った見解であると俺は思っている。人にはそれぞれ事情というものがある。所詮はみんな他人で決して自分ではない。いざ助けが欲しい時に本当に助けてくれると自信を持って言える友人や家族がいると言える人はこの世の中にどれほどいるというのだろうか。
過去にいじめにあったり、家庭環境が悪かったりということは今の世の中ではごく当たり前に起きている。他にも自分ではどうすることもできない、理不尽なつらいことなどいくらでもある。何かにすがることで、何かを信じることで毎日を楽しく生きていければそれはそれで素晴らしいことだ。
ただ、今回は少し事情が違う。よく聞く多少の献金による金銭の問題程度なら僕は早紀さんを無理にでも助けようとは思わなかっただろう。が、この宗教に関しては違う。全世界の政府が教祖が変質者であるという事実を認めているのだ。好きになった人が教祖の性玩具にされる可能性があるのに、それを黙って見過ごすわけにはいかない。
それに彼女は一番大事なルールを破ってしまったのだ。
たとえ戻っても、今までのように普通に楽しく過ごせる可能性も低くなってしまった。
昨日の夜、泣きながらうちに来た早紀さんを俺は抱いた。
原初では絶対にやってはいけないことだということを教義を読んだ俺はもう知っていた。
早紀さんからメールが届いたのは次の日の朝だった。
「助けて」
絵文字どころか句読点もない文面に俺は焦った。
何処に行けばいいかと返信したが、反応はない。もちろん、電話もつながらなかった。
急いで早紀さんの住むワンルームマンションにも来てみたものの、当然鍵は掛かっていて中に人がいる様子もない。
手掛かりは彼女のスカイブルーの原付が無いことぐらいだ。
何か他に手掛かりはないか。
改めてメールを見返した。
よく見ると宛先が2つあった。もう一つの宛先にはkaoriという文字が入っている。
ピンと来るものがあった。あの佳織さんに違いない。佳織さんとは何度かアカペラサークルで顔を合わせたことがある。
早紀さんは佳織さんととても仲が良く、サークルの中でも美人姉妹と言われていた。もちろん実の姉妹ではないが。
すぐにアドレスをコピーして佳織さんに連絡を取りたいと送信した。
10分程待ったが、どちらからも返信は来ない。
そうだ。今日は何曜日だ?
火曜日だ。
サッカーサークルは活動日のはずだ。
もしかしたら佳織さんはサークルに行っているかもしれない。
俺は急いでバイクのエンジンをかけながら携帯で達也の電話番号を探した。
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