ミニチュアガーデン 7

2005 12 糾明 clarification

クリスマスパーティー当日。俺は自分の絵を潤平に届けたあと、バイト先の友人と晩御飯を食べていた。たわいもない話をした後、下宿先へ帰った。

今日までで、敬士のおかげで原初の教義はわかった。

原初の教義はあの変態こそがメシアであり、その預言者メシアの言うことに従えば幸せになれるという単純なものだった。

俺たちが参加してしまった聖書の勉強会は、結局のところ全三十話も費やし、このことだけを刷り込んでいくためのものだったのだ。

人類はアダムとイブの子孫ではなく、イブとサタンの子孫だという。

そしてサタンはヘビとして描かれ、あらゆる絵画でも悪役として登場する。

そして、ヘビと同義であるらしい龍を神と同列として崇める日本や中国は、サタンを崇拝している国であり、原罪を負ったイブの国と設定されている。

そのような中、聖書によく出てくるキリストの再臨は東の国であるということになるわけだが、まず東の国のうち、イブ国と社会主義国を除くと残るは韓国のみとなり、再臨の場所が確定する。

さらにその国の中でキリストと同じように迫害を受けたのがメシアだということになるらしいが、それが変態教祖の昔話と合致するのだそうだ。

計算式は忘れたが、ガイアの法則などを巧みに継ぎ接ぎ、キリストが再臨する年代もまさに今ということになっている。

そういった数々の証拠、俺からしてみればこじつけにしか見えないがら原初の教祖があの変態であることが証明されるという仕組みになっていた。

ここで大切なのは、一話の解説に食事とかまでを含めると四時間は費やすが、それを短期間で三十回も繰り返すことだろう。それだけ多くの時間を費やせば、自然と原初のコミュニティが自分の中の最上位となることは容易に想像できる。さらに、回が進むに連れて考えが似てくるのだからその勢いは加速度的に増していくだろう。

その他にも霊魂がどうだとか、悪の根源は金にあるということで金からの呪縛を解くために信者は社会から金を回収し、神様に処分してもらう必要があるとか、いろいろなことが決まっているのだが、正直言って、全く魅力的ではなかった。

美琴さんの言ったとおり、パズルと推理小説のような仕掛けがしてあるのだが、出来上がったパズルを見ても何も感動はない。ネタバレしている推理小説を見ても同様だ。

一方で、どこまでが原初人かは最後まではっきりとはわからなかった。俺以外の全ての人が原初人かもしれないとも思った。

何人かに聖書の勉強会の話を振ってみようとも思ったが、もしその相手が原初人だった場合打つ手がなくなってしまう気がして、それもできなかった。

そもそも、なぜこれほど向きになって判別したいのかがわからなくなってしまっていた。やりたい人はやれば良いし、結局騙されるのは騙される側にも非があるのではないかとさえ思うこともあった。

ベランダに出てタバコに火を点けた。空を眺めると大阪なのに星がいくつか見えた。

美琴さんの話を聞いた日の熱意と正義感は続くことなく、いつの間にか萎んでしまっていた。

部屋から携帯の着信音が聞こえてきたのでタバコをくわえたまま部屋に戻り電話に出る。

「もしもし。」

「あ、もしもし、達也さん何やってるんですか?」

「ん?今日はちょっとね。お前ら楽しんでこいよ。」

電話の相手は同じサークルに所属する一つ下の学年の裕也だった。

「達也さん、来てくださいよ。なんか盛り上がり方が妙なんですよ。」

「あの人たち、いつも変じゃん?」

「とにかく来てくださいね。待ってますから。」

返事をする前に電話が切れた。

こういう電話をしてくるということは、裕也はまだ何も知らない可能性が高い。

今まさに本人も気づかないうちに宗教の世界に足を踏み入れ始めているのかもしれない。

改めて考えれば、どうせ今日あのサークルを辞めるのであれば、俺が調べていることがばれたところで何もマイナスではないことに気づいた。

一方で、原初人じゃない人がいて、何らかの忠告が出来たらプラスでしかない。

美琴さんの表情を思い出す。

そうだ、やれることをやろうと決めたじゃないか。

パーティー会場は大学から近いカフェを貸し切って行われていた。扉の前で深い深呼吸をしてから、クリスマスのイルミネーションに飾られた木製のドアを押して俺はカフェへ入った。

店内に入るとちょうど数人がダンスを披露しているところだった。曲は誰もが知っている子供の頃からずっと変わらず、そしてこれからも変わらず流れるであろうクリスマスソングだった。

カフェにはけっこうな人数がいた。見たこともない人もけっこういそうだ。

プリミティーボが主催というのは建前なのだろう。

「あ、達也さん。来てくれたんすね。助かります。」

裕也が近づいてきて周りに聞こえないよう、小さな声で言った。

「けっこう盛り上がってんじゃん。」

「いや、なんか妙なんですよ。知らない人けっこういるし、あのおっさんとかやたら偉そうなんすよ。周りもやたら気使ってるし、何者なんすかね。」

裕也の目線を追うとそこには四十代ぐらいだろうか、中年ぶとりの男がいた。

「誰だろうな。」

内心、きっと教団内部の偉いやつだろうと思ったが、さすがに何の説明もなしにこの場で裕也にそれを伝えることはやめた。

この反応からして、とりあえず裕也は原初人ではなさそうだ。逆にこの場になじんでいる奴こそが原初人である確率が高い。

もう一度例の男に目を戻す。その男は携帯電話用のマイクとヘッドフォンをつけている。その姿は一度だけ日雇いのバイトで行ったイベントスタッフの生け簀かないバイトリーダーを連想させた。

視線を感じたのか、バイトリーダーと目が合った。一応軽く会釈する。男は会釈には応じず、近くにいた潤平に何か耳打ちをした。潤平はうなずくと俺のところに来た。

「遅いじゃないか。まず正一郎さんに挨拶してきてくれないかな?」

「誰?」

「あそこに座ってる人だよ。わかってて言ってるよな?」

「あん?なんで?宗教?」

潤平は一瞬嫌な顔をしたが、いいから挨拶してくれと、俺の手を引っ張ってその男の所まで連れて行った。

「初めまして。平山です。」

「あー。キミが達也君か。」

「はい。」

あえて下の名前で呼ぶのは、こっちはお前を知っているというプレッシャーをかけたいのだろうか。

いろいろと調べていることは、相手にはもうばれているのかもしれない。

これ以上会話を続ける気はないようだ。表情は笑っているが、内面から湧き出る嫌悪感のようなものを俺は感じた。

「あ、達也君。来てたんだ。こんにちは。」

突然後ろから声をかけられた。振り向くと満面の笑顔の佳織さんが立っていた。一瞬、その笑顔に気が緩んでしまった。この人も原初人側だ。それを忘れてはいけない。

佳織さんの隣には知らない女性が立って微笑んでいる。

「あ、初めてか。こちらは早紀ちゃん、私の彼女です。」

「早紀です。実は私、プリミティーボのマネージャーもやってるの。よろしくね。」

早紀さんは抱き着く佳織さんを離しながら自己紹介してくれた。

初めて見た早紀さんはたしかに敬士が言うだけのことはあり、周りの女性よりも目立って見えた。

それにしても裕也の言っているとおり、このパーティーからは何か異様な空気を感じずにはいられない。一見、普通に楽しく話したり、笑ったりしながらみんなが楽しそうにしているのだが、どこか胡散臭いのだ。

手作りのものがやたらと多いことも原因の一つだろうか。料理、ケーキ、飾りつけ、そのほとんどが自作のものである。俺の絵を含めてだが。

お遊戯会、それが形容として最も適切だと思った。

違和感の正体は彼らの純粋さ、いや幼さから来るものだろう。

そんなことを考えている時に、裕也が近づいてきた。

「この後、飲みに行きません?」

そこでもう1つの違和感の正体に気づいた。

酒類が一切ない。

イエスキリストはワインを飲んでいるのにも関わらず、原初では酒類が禁止されていると教義に書いてあったことを思い出した。

空き缶タワーを作る日々を送っている俺からはそれは異常な違和感のある光景だった。

これは俺だけの感想かもしれない。

宏太の声が頭の中に響く。

「酒がないパーティーなんてパーティーとは呼べへんやろ。ありえやんわ。」

いや、ハイボーイズの感想だ。

裕也が個別に誘っていた二次会には原初人も何人か来ることになった。裕也の提案が原初人の耳にも渡り、彼らも行きたいと言い出したからだ。

カラオケには早紀さんも来ていた。

俺はワンドリンク制というカラオケボックスのルールに従い、生ビールを注文した。

後輩たちも次々と酒を頼んでいく。結城さんは烏龍茶を頼んだ。それを見ていてハッとした。

この場で酒を飲んだやつらは原初人でない可能性が非常に高くなるじゃないか。

図らずとも、踏絵のようなことになったのだ。

来た甲斐があったかもしれないと思った。

幸い、後輩たちはほとんどが酒をオーダーしていた。ソフトドリンクを頼んでいる人たちを確認して、俺は携帯にメモした。

久しぶりのカラオケは始まってしまえば、なかなかに楽しかった。

基本的にはどんちゃん騒ぎだったが、たまに順番が回ってくる早紀さんの番になると、自然とみんなでその声に聞き入ったりした。

彼女は敬士が言うとおり本当に歌がうまかった。

天使の歌声という敬士の形容を思い出した。

そして、同時に格好つけて敬士に聞きそびれた432ヘルツとはなんのことだろうという疑問が再燃した。

最後はその年に一番流行った邦楽をみんなで歌って終わることになった。

なんとなく全員で肩を組んで歌った。

たまたま早紀さんと肩を組んだ。早紀さんは俺と敬士が知り合いだということは知らないはずだ。

敬士の気持ちが届くことを祈った。この人が美琴さんのような想いをしなくていいように、俺も協力できることは協力しようと思った。
早紀さんは22歳、残された時間は3年ほどあるはずだ。

カラオケボックスの天井は鏡張りになっていた。

そこに映る肩を組んだ男女の光景はまさに大学のサークルでよく見る光景そのものだった。

帰り道は早紀さんが歌った「本当はあなたの元へすぐに行きたい」という歌詞が頭の中でリフレインしていた。

敬士、頑張れ、気持ちは届いてるぞ。

俺も頑張ろう。チームメイトを信じて、これまで得た情報を話すことにした。

俺はクリスマスパーティーの翌週にカラオケで酒を飲んでいたやつを中心にプリミティーボのメンバーを自分の部屋に集め、知っている情報を全て話した。

事前に敬士と集めた資料をまとめ、彼らに配った。

全容を聞き終えた時、各々何を思ったのだろう。

大半は気持ち悪いと言っていたように思う。

正直、みんなに話すことが正しい判断だったのかは俺にはわからなかった。敬士と二人で必死に集めた情報を持って大学の学生部に相談しに行ったときには「関わるな」と言われてまともに取り扱ってもらえなかった。

そんな関わらない方が良いと大人が判断した情報を話してしまうことは、彼らを巻き込んでしまったということになると思ったからだ。

ただ、そんな俺の思いとは裏腹にその場にいた全員が感謝してくれた。
中には正に聖書の勉強会の最中のやつもいて、誰に相談して良いのかわからなくて悩んでいたやつが複数人いたのだ。

その場で全員がプリミティーボをやめることを宣言した。

宗教に人生を捧げるやつはこの中からは出なさそうだ。

それでも俺たちに残された問題が1つだけあった。

潤平をどうするかということだ。

助けるのか、放っておくのか。

いつもはあまり意見を言わない俊が潤平を助けたいと言い、サークルの中では保護者のような立ち位置の嘉人さんがそれに賛同した。他のメンバーも賛同しているようだ。

潤平が望むのであれば、俺も手を差し伸べたいが、潤平の真意がわからない。

人生は常に何かを選択していかなければならない。その選択を間違えたとき、簡単に戻れれば良いが、戻れない場合も多いだろう。今回は早めに手を打たなければ戻ってこれない類いの選択だろう。

もちろん、何が間違いで、何が正解なのかなんてその時はわからない。いや、後になってもわからないことは多い。

それでも、人は選択しなければならない。それが生きていくということなのだから。選択することをやめたら、それは生きることをやめるのと同義だ。

潤平は、自分の頭で考えた上で選択したのだろうか。

自分の頭で考えたのであれば、それは潤平の自由だ。

俺は「助ける」という言葉には違和感を感じていた。

翌日、サークルに行って、潤平にやめることを伝えた。

「俺たちは悪いことをしたつもりはない。」

潤平の言葉に思わずカッとなって胸倉を掴んだ。昨日、みんなで潤平のことを考えていた時間が一気にバカらしくなってしまった。

胸ぐらを掴まれている潤平を、周りにいた人たちはただただ黙って見ていた。

目の端にキャプテンの姿が映った。彼もまた、呆然とこちらを見ているだけだった。隣では佳織さんが口に手を当てている。

俺は心の中で潤平に問いかけた。
潤平、よく見ろ、お前の仲間だと思ってるやつは誰も助けに来ないぞ。
本当に仲間なのか?
今までのキャプテンでそんなやついたか?
こいつらにとってサッカーは所詮、宗教のための道具に過ぎない。
潤平、お前はサッカーを道具にされて腹が立たないのか?
高校まで真剣にサッカー続けてたお前はやっぱりこっち側に戻ってこいよ。

潤平が俺の手を振り払った。俺は潤平から手を離した。

潤平に背を向けてグラウンドを後にするとき、なぜか俺は泣いていた。

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