ミニチュアガーデン 5

2005 10 朋輩 Comrade

俺は、クリスマスパーティーが終わるまでに達成すべき一つの目標を掲げた。

このサークルのうち、誰が宗教に関わっているのかを見極めるということだ。

今まで以上に普段誰と誰がどんな内容を話しているのかといったことを観察した。

不思議なもので観察しているうちに、自分が宗教というものを否定しすぎているのではないかという気持ちになる日もあった。

小さい頃からなんとなく宗教は悪いもの、怖いものだという印象を持っていたが、実際に神様を信じている彼らを見ていると、それぞれが前向きに、一生懸命生きているし、何より楽しそうだった。もともとそういう人もいるだろうが、何かを信じるだけであんなに楽しそうに生きていけるならそれも選択肢に入れても良いのではないか。そもそも宗教はなぜ悪いものだと教えられてきたのか理由もよくわからなくなっていた。

現に世界では多くの人がキリスト教を信じている。

海外では堂々と教会に通っているし、日本でも多くの人が結婚式は教会で挙げている。

何が嫌なのだろう。どうして、この人たちに、嫌悪を抱くのだろう。

宗教というものが背後にあると知っただけで、彼らは変わっていないのに、なぜこんなに嫌な気持ちになっているのかを考えることにした。

理由の一つとして思い当たるのは、考えることを放棄した上で、その宗教思想を他人に良いものだと広めることだろうか。

彼らは「神」という答えを持っていて、彼らはそれを盲目的に信じている。

神が一番で、全ての行動は神のため、そして、関わる人間も神を信じている、つまり同一とまでは言わないが、似たような考え方をする人間だ。だからそのコミュニティにいる時は楽しいのだろうし、外にいる自分たちを理解できない人たちのことは、かわいそうに、こんなに良い世界があるのに、と卑下している。

俺は大学に入ってから時間に余裕ができたせいもあり、「生きるとはどういったことなのか。」「人生の目的は結局何なのか」という、大学生なら誰もが一度は直面する問題にそれなりに真剣に向き合って過ごしていた。

生きるためには「優先順位」というものを決めれば良いのではないかとも思ったし、それが人生で成すべき最も重要なことだと結論付けた時もあった。そうすることで、すべての行動に意味があり、充実した生活ができるのではないかと。

だが、実際に考えると、何を一番にするかなんてそう簡単に選べないことに気付く。だいたい、自分が何が好きで何が嫌いかもよくわかっていないし、その時々で変わる。そんなもの選べるわけないじゃないか。好きな女の子のタイプでさえ、明確には答えられないのだ。一番好きな映画さえも選べないのだ。人生において何が一番大事かなんてわかるわけがない。

そうやって悩みながら、ちょっとばかり憂鬱になる日も幾度とありながら自分なりに考えながら生きていた。

そんな時に答えは神だと盲信する集団に出会ったことがこの上なく不快なのかもしれない。さらに、実際彼らがどう思っているかはわからないが、俺は彼らに哀れまれていると感じた。

考え方が合わないのだからお互い関わらなければ良いだけだとは思うが、自分を否定されたことで心の中に何とも表現しがたい感情が芽生えてしまったのだ。

俺は自分のプライドがそれなりに高いのかもしれないということを知った。

そもそもこの世界には神がやたらといる。

無数に唯一神が存在しているというカオス状態だ。

なぜ生きているのか、なぜ生まれてきたのか、自分の役割は何かという問いを太古の昔から人々は考えていた。

これらの問いは暇な大学生だけの専売特許ではない。

この問いに向き合い続けた一部の人がそれぞれの考えで「神」を作り、その答えをまたそれぞれが決めてきた。

その結果、世の中には無数の神様が存在することになったのだ。

わからないから不安であり、答えを決め打ちすることでその不安から解放されたい。不幸なことは神からの試練として乗り越える力をもらい、幸福なことは普段の信仰の見返りであり、自分の行動をより正しいものへと強化させる。

さらに、価値観を共有している者たちで集まれば、その場所は安心感を得られる、そういう仕組みだ。

そして、時代とともに宗教は政治にも利用されてきている。時の権力者が自分の言うことを補強させるために神様を利用してきたのだ。

日本においては天皇が創造神天照皇大神の末裔であることを権力の根拠としたり、今ではある程度の地位を得ている仏教も、蘇我、物部の権力闘争の過程で国内に持ち込まれた。持ち込まれた後も、ある時は天皇の支配に協力し、ある時は追いやられ、またある時には民衆の味方となった。マイナーチェンジは繰り返され、いつしか本流がどこかわからなくなっていった。

仏教はましな方かもしれない。他の宗教を否定する唯一神を崇める宗教は、人々をまとめたり他国を侵攻する理由として政治と親和性が高いため、なおさら利用されてきた。

唯一神教の代表格であるキリスト教も深く政治と関わってきた。最初は異端だったキリスト教も、徐々民衆に浸透していき、時の政権が国教として認めることになった。しかし、その後はキリスト教が強くなりすぎ、国家と対立するなど政敵となることもあった。それでもしばらくすれば、また協力関係を築くというサイクルを繰り返していったのだ。

キリスト教もその過程で少しずつ変化をして、カトリックだのプロテスタントなど同じ神を信じながら宗派が出来ていくのは仏教と共通している。

人々の不安を取り除くはずの宗教はその教えの正否を置いといたとしても、結果として、神の名の元に、太古より多くの人類の命を奪っていったのは間違いのない事実である。

何にせよ、何かの価値観に縛られて生きていくことはしたくないし、ましてやその価値観を他人から強制されるなど、俺には不快でしかない。

改めて俺は誰かからの忠告に同意する。俺は宗教とは合わないようだ。

宗教に対する嫌悪の理由と自分が宗教に合わない理由を整理した俺には次にまだ整理できていないものがあることがある。

彼らが信じている神様やその教義についてだ。

坂本先輩の「普通のキリスト教ではない」という言葉が妙に引っかかる。

世界で一番信仰している人数が多いと言われているキリスト教、その本流ではないからこそ、あのような比喩として解釈していくのだろうか。

早速いろいろと調べるのだが、彼らに名前があるのかも、どのキリスト教の分派なのかもわからない。キリスト教の分派、もちろんそれぞれの分派は自分たちこそがアップグレード版の真実だとキリスト教がユダヤ教にしているように、イスラム教がキリスト教にしているように主張しているわけなのだが、とにかく星の数ほどある。思いつく限りいろいろと本やネットで調べたが、雲をつかむような話なので、全くと言っていい程手がかりをつかめなかった。雲というより神をつかもうとしているのだから雲をつかむよりも、さらに現実味がないのは当然かもしれない。

そんなとき、俺は敬士という、後に戦友となる男と出会った。といっても敬士はクラスメイトだったのでもともと面識ぐらいはあったのだが。

共通の友達だったガンちゃんに、所属しているサークルが宗教の勧誘の窓口かもしれないと話したところ、ガンちゃんが敬士が同じような話をしていたことを教えてもらったのがキッカケだった。

俺たち3人は早速その日の夜、俺の下宿先に集まった。

敬士の話にもビューティー直子は出てきた。敬士はどうしようか考えているうちに、聖書の勉強会は3回目まで行っていると言っていた。

彼は歌を歌いたくてアカペラサークルに入っていた。

その中で、アカペラ、ゴスペル、キリスト、聖書といった自然と言えば自然な流れで聖書の勉強することになったようだ。

敬士も、怪しさは感じていたが、基本的には聖人君子の集まりなので、自分の心が汚れているのではないかという気持ちにもなり、悩んでいるところだった。

敬士と話していて俺は確信した。やはり、これは個別に聖書の勉強をしているわけではなく、何かしらの宗教団体で、その勧誘の窓口としてこの大学内の複数のサークルを使っていることを。

敬士も、アカペラサークルにも所属している佳織さんが「入信」という言葉を使ったという俺の話を聞いて同じ考えを持ったようだった。

俺たちはこの宗教の真相を暴くために協力することにした。

俺たちはその教えの是非に関係なく、人を騙して、知らず知らずのうちに宗教に引きずり込むという卑劣な手段が許せなかった。

一人で調べるのが二人になったことはとてつもない威力を発揮することになった。単純に考えても2倍だ。そして時に人と人が力を合わせる場合、1+1=5などというシュメール人も2度見してしまうる数式を成立させてしまうことがある。俺たち二人はまさにそれだった。

それからしばらくして、やつらの教団名がわかったと敬士から連絡があった。

答えはインターネットに落ちていた。

敬士は、インターネット上には多くの情報があるが、そこにアクセスするには検索技術と知識が必要だと話した。
インターネット上の情報のうち、半分以上は英語で書かれているし、日本語の情報など5%程度しかないらしい。
敬士は英語が得意だ。

俺は英語も得意ではないし、そもそも国内のしかも関西に限定して活動をしているとなんとなく思い込んでいたので英語で検索するという発想すら持ち合わせていなかった。

敬士は英語で書かれた宗教被害者の情報を追ったようだ。その中の1つに今の俺たちと同じような状況が「勧誘の手口」として紹介されていたということだった。

教団の名は「原初」といい、信者は「原初人」と名乗っているようだ。

俺もネットを開いて情報を見た。

原初は意外にも規模が大きかった。
創設されたのは韓国で、世界各国で活動をしていた。
勧誘のターゲットの1つとして日本の大学が入っているようだ。

そしてこの教団の一番問題となっているのは、教祖による強姦だということを知る。

俺たちが調べた時、教祖は強姦容疑で「国際指名手配犯」となっており、偶然にもちょうど逮捕されたところだった。

教団名がわかると、意外にもそこから先の情報は簡単に手に入った。
こんな情報がネットに掲載されてしまって大丈夫なのかと俺たちが心配になるほどガードは緩かった。

たしかに、坂本先輩が言ったように、普通のキリスト教ではなかった。

原初は世界各国でカルトとしてブラックリストに載っていた。

俺たちはこの情報を手がかりに、ありとあらゆる文献から情報を集めた。

一応は国が認めているキリスト教団体の施設に二人で出向き、事情を話し、そこで、原初の教義といえるもののコピーも手に入れることができた。

少ない時間だったが、人間必死になれば何事でもできるものである。

少しずつ原初の全容がわかっていく中、インターネットを通じて元原初人の美琴さんに出会った。

何回かメッセージをやり取りした後に、彼女から直接会って話を聞かせてもらえることになった。

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