2006 01 破砕 Ruin ー 楓 KAEDE -
ー楓ー
嘉人さんが初めてうちに来た時は正直、警察に通報しようか真剣に悩んだ。
玄関先で必死にお父さんに話をしている彼の姿は普通ではなかった。
それにしても大好きなお兄ちゃんが変な宗教に入信しているなんて信じられなかった。
お兄ちゃんはいつも優しかった。私が落ち込んでいるときはいつもこっそりアイスを買ってきてくれて夜中に2人で食べたこともあった。
お兄ちゃんはサッカーが得意で、中学校の時も高校の時もキャプテンだった。勉強だってすごくできて、関西で一番頭の良い大学に行った私にとってのヒーローだ。
それなのに威張ることもないし、口下手だけど、みんなの人気者で、と良いところはまだまだ話せる自信がある。
それなのに、突然やってきた嘉人さんは、お兄ちゃんが変な宗教に嵌まっていて助けなくてはいけないと玄関先でお父さんに懸命に訴えていた。
私にとって変な人は嘉人さんの方だった。
お父さんは少し頭を整理する時間がほしいと嘉人さんに言った。
嘉人さんは、そういうことなら近くに泊まっているので、整理ができたら連絡を下さいと言って帰っていった。
嘉人さんが帰ったあとの玄関で私たち家族に会話はなかった。
お父さんはそのまま散歩して来ると言って出ていった。
私とお母さんはリビングでその帰りを待った。リビングではめったに見ることのない2時間サスペンスが始まったところだ。お母さんも私も特にチャンネルを変えることはしなかった。
「お兄ちゃんが宗教に嵌まってるって、本当なのかな?」
「お母さんもわからない。潤平と神様なんてまるで似合わないと思うけど。」
「そうだよね。伊藤嘉人さんだっけ?あの人の方が怪しいと私は思うんだけど。」
「うん。ただ、わざわざ大阪から秋田まで来て、そんな話するかな。」
「私たちを信用させるための嘘をかもしれないわよ。」
「そうね。」
お母さんはテレビに目を移す。
私もテレビに目を移す。
黙って2人で興味のないテレビを見た。リビングからはテレビ以外の音が消えた。
私は考えた。もし本当にお兄ちゃんが神様を信じるようになってたとしたら、その宗教はどういう宗教なんだろうか。
リビングから和室にある仏壇が見えた。毎朝欠かさずに大好きだったおばあちゃんと話しているが、あの仏壇が何教なのかも私は知らない。
仏壇のとなりには七五三の時の私の写真が未だに大事に飾ってある。七五三も何かしらの宗教の儀式なのだろうか。写真には鳥居が写っているが、鳥居は何教なのだろう。それにしてもいつまで飾ってあるのだろう。家族の中では私のピークは七歳で止まっているのだろうか。
キツネのお稲荷さんも、お地蔵さんも何かしらの宗教の象徴なのだろうか。
この間修学旅行で行った屋久島の大きな木の前でなんとなく手を合わせたけれど、私は何に手を合わせていたんだろう。
私は宗教のことについて全く無知な自分に気づいた。
玄関の引き戸が開く音がした。
リビングにお父さんが入ってきた。
「とりあえず、伊藤さんの話をみんなで聞いてみないか。」
「そうね。」
お母さんが答えた。
嘉人さんが話した内容が真実だとしたら、私たち家族にとって想定外の出来事なわけだが、お父さんの何か決意したような表情は私を安心させた。
お父さんは受話器を取り、嘉人さんに電話をかけた。
テレビではニ時間サスペンスがクライマックスを迎えていた。
どのような紆余曲折があったとしても二時間後は結局崖になる。このパターンは何年続いているのだろうか。見ている側は相当飽きているはずだが、未だに変わらないのは需要が無くならないからだろう。
人はつまらなくても、ある程度予測できる方が好きなのかもしれないと思った。
何をしたのか知らないが、ロングコートの刑事に逮捕される犯人を見ながら、想定外のことに対応するには力を使いそうだなと思った。
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