ミニチュアガーデン 10

EPISODE 2

2006 01 熟悩 Hesitation  ~ 俊 SHUNN ~

ー俊ー

僕たちは新年早々、達也さんに家に呼ばれた。ワンルームに十人も集まると、座るところさえない人もいる。達也さんから話を聞いた時は、全身に悪寒が走った。

あの日、裕也が達也さんに電話をして本当に良かった。達也さんはあの日、僕たちに全て話すことを決意したと言っていたのだから。

もし裕也が電話をしていなかったらと思うとゾッとする。僕は今までの人生で築き上げてきた友人関係や家族を失うところだったのだ。僕はあの小さなコミュニティで、一生行き続けたいとは思わない。

僕はどちらかというと気が弱いと周りから思われがちだが、実はそうでもない。しっかりとした自分を持っているから人の意見を聞き入れやすいのだと自分では分析している。

だからこそ、世に言う宗教の勧誘などに引っ掛かるわけがないと思っていた。

でも、実際は危ないところだった。聖書の勉強会にも初めは違和感を感じていたが、数回参加しているうちに、あの人たちのあまりにも純粋な行動に違和感を持つのは、自分の心が汚いからなのではないかと思い始めていたところだったのだ。

今回のクリスマスパーティーも、一度真剣に取り組んでみれば、自分も何か変われるかもしれないと思って真剣に向き合っていた。

僕は宗教がもともと好きではない。

祖父の葬式で宗派がどうこうで揉めているのを見て、くだらないと思ってしまったことも原因の一つだ。

達也さんが話していた教祖の性犯罪については真偽がわからないと思っているので僕の判断基準からは外れているが、騙し討ちのような形で、知らない間に人を引きずり込むような方法は良くないと思う。これは僕が実際に体験して感じた本心だ。

僕の場合、プリミティーボの中で一番仲の良い先輩が「知り合いから社会人になるための教養をしてもらっている」と話していたのが入口だった。

勉強と部活しかしてこなかった僕は、社会常識が自分に備わっているか不安だったので、その話に飛び付いてしまった。

先輩に連れていかれたのはマンションの一室だった。そこではカチッとしたスーツを来たサラリーマン風の男性が、社会常識を教えてくれた。彼は憲治と名乗った。

名刺の交換の仕方や、「ご苦労様」という言葉をを目上の人に使ってはいけないこと、エレベーターでの立ち位置、客を案内する時のコツなどだ。

社会人にとっては当たり前のことかもしれないが、僕にとっては新鮮な情報で、とても有益に感じたし、社会人になる準備をリードしている感覚もあった。

先輩からは、キリがないから他のプリミティーボのメンバーには内緒にしておくように言われた。

通い初めて四回目ぐらいだろうか、その日はいつもの憲治さんではなく、ビューティー直子と名乗る少し変わった女性が講師をすると言った。

彼女はこれからはグローバル化の時代だから世界で最も信者の多いキリスト教を学んでおくと武器になると言った。

そこから僕はしばらくの間、聖書の勉強をすることになった。

聖書が難しいのは比喩で書かれているから難しく感じるが、本質を知ればとても簡単なことに繋がると言われた。

何回か通ううちに、そのマンションではルームシェアが行われていて、多くの人が出入りしていることを知った。

それも多くが社会人だったので、とてもカッコ良く見えたのを覚えている。

毎日早く帰ってきた人が全員分のご飯を作り、出来上がればその時にいる人全員で食卓を囲む。僕も最初に行った時からその輪に入れてもらっていた。とても暖かいと感じたし、会話の内容も前向きなものばかりで、母親と父親がいつも愚痴を言っていた家族の食卓とは比べ物にならなかった。

「皆さん、なんでそんなに心がきれいなんですか?」

僕は何回めかの食卓で質問した。

「聖書を勉強して、何か自分を変えたいと思ったからかな」

と今日初めて食卓を囲む大貴さんが言った。「そんなに変われるものですか?」

「今ちょうど聖書の勉強中やったっけ?騙されたと思って最後までやりきったら何かは変わると思うで。いや、たぶん物事の見え方が一変するやろな。」

「本当ですか?」

「俊君次第やけどな」

「頑張ります。」

僕はまんまと自分から足を突っ込んでいった。次第に先輩といっしよに土日も課外ワークのようなものやボランティアに参加するようになり、時間が足りなくなった僕はバイトも減らした。

自然と僕はあのマンションや、そこの住人と過ごす時間が増えていった。

プリミティーボの練習前にはグラウンドのごみ拾いをしてから始めるのだが、その責任者に指名されたりした。

そういえば達也さんはほとんどゴミ拾いには来たことがなかった。

資料を持っていると危険かもしれないと言って、みんなから最初に配った紙を回収しながら、それぞれの質問に答えている達也さんを見る。

僕も手を伸ばしてきた達也さんに資料を返す。

「俊は大丈夫だったん?」

裕也が聞いてきた。

「言いにくいんだけど、実は聖書を勉強してました。」

「ほんま?俊も声かかっとったんか。なんで俺は誘われてへんねん。逆に腹立つわ。」

今日集まった十人のうちに声を掛けられていたのは六人だったことがこれまでにわかっている。声を掛けられていた者はホッとしていたが、声を掛けられていない者は、それはそれで腹が立つようだ。

「で、潤平さんはどうします?」

裕也がみんなに問う。

達也さんは放っておけと言った。他のみんなも思ったことを口々に話していたが、僕は少し大きな声で自分の意見を言った。

「僕は助けたい。」

みんなが一斉にこちらを向いた。最初に沈黙を破ったのは嘉人さんだった。嘉人さんは今日集まった中で唯一の社会人だ。

「せやなぁ。やれることをやってみようや。僕は賛成や。実は僕もかれこれ5回は勉強会に参加してしまってたんや。今日達也君から話を聞くまでは宗教だとは思ってなかったから本当に驚いている。引っかかるやつが悪いと思う人もおるやろうけど、僕の意見を言わせてもらうと、悪いのは彼らのやり方やと思う。潤平君を取り戻さなあかん。」

嘉人さんは普段は物静かで、常にみんなの意見を公平に見ることのできる人で、プリミティーボの中でも一目置かれる存在だった。結局嘉人さんの言葉で潤平さんに手を差し伸べることが決まった。

達也さんは最後まで賛成とも反対とも何も言わなかったが、帰りにみんなに配った資料の詳細だといってこっそり紙の束をくれた。

「気をつけろ、今日の中にも原初人がいるかもしれない。」

嘉人さんと僕が潤平さんを助けたいと思ったのはきっと僕たちが一番彼らの行事に参加していたからだろう。

僕も表情には出さなかったが、嘉人さんも関わった時間が長い分、相当腹が立っていたはずだ。

そもそも嘉人さんも僕も理由はどうであれ、潤平さんが本当に優しい人間だということを知っていた。

潤平さんが悪いわけではない。

潤平さんには原初などという得体のしれない宗教の世界の中で一生を過ごしてほしくなかった。

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